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二代目 歌川豊国(にだいめ うたがわ とよくに、安永6年〈1777年〉? - 天保6年〈1835年〉)は、江戸時代後期の浮世絵師。一陽斎豊国。 == 来歴 == 初代歌川豊国の門人。名は源蔵、一陽斎、一暎斎、後素亭、満穂庵と号す。文政の初め頃、初代豊国に入門し当初国重(くにしげ)と称したが、のちに豊重(とよしげ)と改めた。豊国の門人のなかでは若輩で技量も今ひとつであったが、文政7年(1824年)初代豊国の養子となり、初代の没後、翌文政8年(1825年)に二代目歌川豊国を襲名した。実力派の歌川国貞を差し措いてのこの処遇は、歌川派内において何らかの蟠りが生じていた可能性も考慮される。しかし二代目豊国は忠実に師の画風を受け継いで、堅実な作風の美人画や役者絵、芝居絵を描いた。文政11年(1828年)頃には本郷春木町に住んでおり、後年になって二代目歌川豊国を称した国貞と区別するため「本郷豊国」と呼ばれた。 二代目豊国は初代の域を超えず、三代目豊国(国貞)に圧されて不遇な存在であった。二代目豊国の作品のうち、半身像の美人画「風流東姿十二支」は特に優れており、「美人合 江戸十景」、「今様姿見」、「吉原八景」、「全盛百人首」などの美人画のシリーズも知られている。晩年の天保4年(1833年)から天保5年(1834年)の頃に、相模国と駿河国の景勝地を描いた風景画「名勝八景」8枚揃も良く知られている。なかでも「大山夜雨」は、丹沢山塊の大山にある大山不動尊を描いた佳作である。しかし天保5年(1834年)頃を境に作品は無くなっている。天保6年(1835年)死去、享年59(34とも)。 弘化元年(1844年)、兄弟子の国貞が豊国の名跡を継いでいるが、なぜか本来は三代目にあたるにもかかわらず、二代目豊国の存在を無視して自らを二代豊国と称し、豊重こと二代目豊国の存在を抹殺したのであった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「歌川豊国 (2代目)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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